Kotokoのこれまで

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ホスト崩れから外資系3高まで。恋が私の転機のトリガーだった

—男との出会いが、いつも私の転機のトリガーだった—

ド田舎の低所得家庭で生まれて育つ。

勉強は興味なかった。
高校時代はバイトと遊び三昧、目標もなく生きてた。

だから進路は強制的に“就職一択”。
専門学校に行きたくても、お金がなかった。

この地域で大学に進学する人はほんのわずかだった。
友人や先輩には中卒もいたし、私は高卒が普通だと思っていた。


■ 集団就職で上京 → 寮生活で販売業(年収約200万円)

地方の高卒者をまとめて上京させる寮付きの企業で働くことに。
販売業で1年働き、「思っていたのと違う」と、退職したと同時に寮生活も去ることに。


■ 友人と共同生活 → カフェテリアで仕事(年収約250万円)

友人2人と寮を出て、ギリギリ都内のマンションで3人暮らしに。
カフェテリアを展開している会社でアルバイトし、そこで正社員へ。

ここで私は生まれて初めて“都会の超一流ビジネスピープル”を目撃した。

時代はバブル絶頂期。
私の仕事は外資系企業に入っているカフェテリア。

眩しすぎる超一流外資系企業の男性社員たちと、
そのままラジオシティ(ディスコ)に行ける派手目のスーツに身を包むカッコいい女性社員たち。

「OLになりたい!」と突然思い始めた。

※ここの企業の3高(当時流行)イケメン彼氏と付き合い、
初めて学歴が気になった。
勉強しながらこの仕事はバイトだと信じ込んでいた彼は、
カフェテリアの仕事が本職で平然としている私が理解できなかったようだ。

学歴も向上心もない私から、彼は速やかに去っていった。
これが学歴コンプレックスの始まり。
一流企業の彼とは、住む世界が違いすぎた。

数年後、この超一流大企業で、
希望退職者を募るというニュースが駆け巡った。


■ 勢いで退職 → 無職に(収入0円)

OLになりたすぎて、転職先も決まってないのに退職。
会社には何度も止められたけど聞かない私。
あまりにも世の中が見えていなかった。

当時は就職氷河期真っただ中。
バブル期に分厚かった求人情報誌が、この頃はペラペラになっていた。

共同生活は、全員彼氏と同棲生活を始めて解散。
私はホスト崩れの男のアパートに転がり込む。

生活が苦しくなり、街頭でのサンプル配りや日払いの夜のバイトへ。


■ 夜の世界で人生経験が爆増(月収約30万円)

興味深い経験が多い世界だった。
ド田舎で、何のドラマも無い平凡な家庭で育った私。
夜の世界で初めて知ったことが多すぎた。
世の中の男女はこうだったのか、と衝撃だった。
「絶対ここまで成り下がるもんか!」と思える事案も多かった。

居酒屋、ラウンジ、スナックで働いて、いろんな店で遊んだ。
ここでいろんな大人たちに会って影響を受けた。

・政治家
・芸能人
・アスリート
・ヤ〇ザ
・ヒモ野郎
・ホスト
・ゲイ
・大嘘つき
・風俗嬢
・ギャンブラー
・社長と愛人
・壊れた人

しかし、知識もトーク力もない私は、
当然夜の世界で気の利いた会話や接客も出来なかった。

ここでさらにコンプレックスを深める。

この時期、ホスト崩れから逃げるように、
新しい交際相手が住んでいる下町へ引っ越していた。

下町のお坊ちゃんだった彼(これも3高超イケメン)との交際で、
堅気の仕事への意欲が増す。

※この環境の中でも、法を破ること、男に貢ぐことは絶対にしなかった。


■ 派遣で念願のOLに(月収30万円+バイト代)

必死に簿記とPCを勉強して、派遣で念願のOLに。
社員20名程度の会社で、食品卸売業の営業事務の仕事だったが、
「東京のオフィス街に通う」という事実がただただ嬉しかった。

派遣先の会社では一番年下だったせいか、。
営業さんからも役員からも可愛がってもらった。
特にエロ社長には、かなり気に入られた。

私は心機一転、下町から新宿の近くへ引っ越した。

でも派遣は賞与なし・交通費なし。
なので夜のバイトも継続。

派遣は同じ会社で続けたが、
バイトは転々としながら、東京のど真ん中を漂流していた。

OLになる直前、坊ちゃんから
「Kotokoとは結婚は考えられない」と振られていた。

私の実家に二人で帰省した後の事だった。


■ ここでまた、転機になる“男”に出会う(OL継続中)

OL職と都心の住まいに慣れた頃、
余裕ができたので「駅前留学」で英会話を習い始めた。

この時期がいちばん英会話習得に励んでいた。

バイト先では、中国人留学生と出会った。
英語ペラペラ、全身ブランド、年下男子、興味しかない!

カタコトの日本語と文化の違いが面白くて、すぐに友達になった。
友達関係はしばらく続いたが、自然な流れで付き合うようになった。

しかし、気持ちのすれ違いが多く、結局別れることになった。
私は心の底から傷ついた。
東京にいるのがしんどくなり、抜け殻状態に。


■ 気分転換に、ふらりと北へ旅に出た(OL継続中)

彼をやっと忘れられたころ、何かリセットしたくて、
子どものころから漠然とあこがれていた雪国へ向かった。

ほんの数日だけ北の地方都市で過ごした。
気がつけば、その街の空気にハマってしまった。

そしてここで、また“誰か”と出会った。
大学まで海外で育ったというその日本人男性は、
音楽や芸術に精通した自由人だった。

たった2日一緒にいただけなのに、
あの街をもっと知りたいと思わせる人だった。

「この街、いいな」
「住むのもアリかも」

そんな気持ちが芽生えた。

この街とこの男性は、セットで私の頭と心の中に住みついた。


■ 東京に戻っても、その街(男)が忘れられない(OL継続中)

仕事は続けつつ、バイトに励み、
あの街へ何度も旅行するようになる。

東京で消耗して、
北でゆっくり過ごして、
少しだけ男性に会って、
また東京に戻る。

そのサイクルが続いた。

やがて私は移住を決断した。
「住んでみようかな」と言ったら、彼はすごく喜んだ。


■ 思い切って移住(月収約13万円+バイト代)

数年後、本当にその街へ引っ越した。

仕事が見つかるまでは失業保険で約17万円。
明確な理由もなく移住してきた怪しいアラサー女に職は見つからず、
また派遣会社へ登録、即就労開始。

公的機関での受付事務で、なんと失業保険より低い収入……。
(当時、その県の平均年収は最下層だった)

引き続きバイト生活を続けた。

男性とは移住して1年後に関係を絶った。

彼は私のコンプレックスや知りたくないネガティブな部分を、
ちょいちょい指摘する人だった。

全ての出来事は自分が蒔いた種だと説いてきた。
傷ついたが、おかげで自分を知ることができた。


■ その後も人生は動き続けた

そしてその後——
また人生が動く。
今の夫と出会ったのだ。


■ 振り返って

私はずっと男によって人生を変えてきた。
完全に精神的に依存していた。

面白いことに、
私から去った男性たちのことは、
ここではほとんど思い出さなかった。

夫に関しては、
私が去ると決断したときに彼が改心したので止まった。
あの改心(本当に嫌な奴だった)が無ければ、
今頃は思い出さない人になっていただろう。

ここまでで痛いほど身に染みた事実は、

結局、3高レベルの人と付き合っても別れたという事は、
当時の私にその価値がなかったということだ。

高卒でも、
賢くて、向上心があって、社交性に優れていたなら、
きっと私はここまで振られ続けてこなかったと思う。

厳しいけど、
恋愛は“釣り合い”が必要。
これは身にしみて分かった。

もっと真剣に自分のキャリアアップに取組んでいたら、
恋愛も人生も変わっていただろう。

あとがき

私にとって男との出会いは、
新しい世界に踏み切る“トリガー”だった。

振り返ると、後悔が多いけれど、
全部ひっくるめて「私らしい人生」だったと思う。

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