正論と論破が家庭を壊すとき|国際結婚家庭で気づいた“言葉の呪い”

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この記事は、国際結婚家庭で育った子どもとの会話を通して、
「正論」「論破」がもたらす影響について気づいたことをまとめた個人の体験談です。
特定の個人・文化を否定する意図はなく、家庭内での価値観のすれ違いを記録したものです。


■ 子どもと“古典”の話になった日

ふとしたきっかけで、うちの一番上の子と「古典」の話になった。

うちの子は古文・漢文が大嫌い。
今でも怒り気味にこう言ってくる。

「なんで古典なんか勉強しなきゃいけないのかわからない!」
「大人になって何の役にも立たない!理数系の私に古典は必要ない!」

その勢いはもう、
「私の意見こそ世の中の総意!」
と言わんばかり。

そんなとき私は、以前どこかで聞いた話を思い出して言ってみた。

「古文や漢文って、一定の規則に従って読むから、
理学的知能がある人にはむしろ向いてるらしいよ?」

これが完全に“スイッチ”だった。

自他ともに認める理系のわが子は、
物理などの理数は大得意だが、国語系は大の苦手。

つまり、古典を読み解く気など最初からゼロ。

私の言葉は、そのプライドに触れたらしい。

そこから怒涛のように主張が続く。

  • 自分がいかに正しいか
  • 古典がいかに無駄か

これを怒り気味に、大声で延々と語り続ける。

私が 「うん、そうだね」 と言うまで止まらない。


■ この空気感…完全に夫と同じ

途中で気づいた。

「我が家、夫が二人いる。」

夫の“プチモラ言動”をそのままコピーしたような、
あの「押しつけスイッチ」。

自分の正しさを証明することに必死で、
相手の気持ちを削るタイプの話し方。

言うべきか、黙るべきか。
その場で悩んだ。


■ このままだと、子どもは外の世界で苦労するかもしれない

外でもあの話し方をしていると想像する。

友人がたくさんできても、誰かと交際しても、
相手から尊敬されることはないだろう。
そしてその相手もきっと幸せにはなれない。

夫はもう直らない。

でも子どもなら、まだ修正できるかもしれない。(と言いつつもう大人だが)

  • 教えるべき?
  • 個性として尊重すべき?
  • それとも、自分で痛い目を見て学ぶべき?

答えは見つからない。


■ 正論と論破の“正しさ”は、幸せを壊す

最近の世間は「論破」「正論」だらけだ。

だけど私は夫との会話を通して痛感している。

論破は勝ち負けの話でしかない。
人間関係にも、幸せにも、何一つ役立たない。
むしろ確実に“関係を削る”。

夫との会話はまさにそれだった。

  • 得られるのは優越感だけ
  • 失われるのは信頼と対話

そして今、子どもにも同じ空気を感じる。

連鎖を止めたい。
止めなければならない。

……でも、それって私の考えすぎ?


■ ふと思い出した、“私自身の正論攻撃”

昔を思い出した。

仕事と家事育児で手いっぱいだったあの頃。
すべてを効率よく回すために、
私は小学生のわが子に向かって堂々と 「正論を並べ立てて」 いた。

  • なぜ私の意見が正しいか
  • なぜあなたは言うことを聞くべきか

今思い返すと、あれは 完全に“私の正論攻撃” だった。

子どものその言動は、
もしかしたら 私の姿のコピー なのかもしれない。

そう思った瞬間、胸が痛んだ。


■ 今日もまた、不出来な自分に静かに反省

論破癖も正論攻撃も、
いつの間にか家庭に染みついてしまう。

今日もまた、
「育て方、間違えたかな」
と思いながら、静かに自分を反省する。

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